20代の社会保障のブログ

ニュースで見るけど難しくてよく分からない社会保障を少しだけ噛み砕いていくブログです。若者目線で綴っていきます。

妊婦加算について思うこと

昨年末に大きく話題になった、妊婦加算について今回は記事にしてみたいと思います。

 

まず、妊婦加算とは何なのか。日本の公的医療保険については、診療報酬というメニュー表が、国の告示において決められており、〇〇という治療には、××円、というように全国一律に決められています。

 

みなさん、風邪を引いたときに、病院にいって診察を受けると、初診料は、2820円(診療報酬上は1点=10円で、282点と表記)とされており、この更に3割分が、患者さんの自己負担となります。そして、残る7割は、健康保険から支払われるということになります。

 

この、初診料などの診療報酬が医療機関のほぼすべての収入源になります。そのため、診療報酬上のメニューを多くとればとるほど、医療機関にとっては、収入増となりますので、この診療報酬は政策誘導に使われています。

 

そのため、例えば、リハビリの医療提供体制を充実させよう、とした場合、リハビリを行った場合の診療報酬を増額させ、医療機関インセンティブを与えようということです。

 

今回の妊婦加算というのは、その狙いとしては、上の例と同じように、妊婦さんに対する医療提供体制を評価しようとしたものだったのですね。

 

ところが、この診療報酬の増額、というのは、すなわち医療の値札を上げることになりますので、当然、定率の負担(3割)を求められている患者サイドにとっては、負担増になります。

 

今回の妊婦加算については、妊婦に対して初診または再診を行った場合に、普通の人の初診料や再診料に加算してプラスアルファした額の診療報酬を、医療機関に与えるものでした。

具体的には、初診だと、750円加算(患者にとっては約230円の負担増)するものでした。

 

この狙いは、
① 胎児への影響に注意して薬を選択するなど、妊娠の継続や胎児に配慮した診療が必要であること
② 妊婦にとって頻度の高い合併症や、診断が困難な疾患を念頭に置いた診療が必要であること
などの特性があることから、妊娠の継続や胎児に配慮した適切な診療を評価するもの、と説明されています。


医療費の25%くらいは、国による税金により賄われています。
そのため、妊婦加算を実施するためには、この厳しい財政状況から、妊婦加算のための財源をねん出する必要もあるのですね。

 

そのため、狙いとしては、「妊婦さんの医療提供体制を充実させたい」という思いからの施策だったわけです。

 

ですが、確かに、患者サイドから見ると、なぜ妊婦であるがために他の人より負担が増えないといけないのか?、という意見が沸き上がり、結局この妊婦加算は凍結されました。

 

今回のケースは、診療報酬の、医療機関への収入という面と、患者の負担額を決める面という、両面がはっきりと対立したケースであり、興味深く見ていました。

 

診療報酬は2年に一回改定されますが、診療報酬がプラス改定になるか、マイナス改定になるか、特に注目されているポイントです。

 

なんとなくですが、国全体の論調として、「プラス改定が望ましい」という空気間があると感じていました。もちろん医療関係者の方は、過酷な労働環境の中、その評価がされることは望ましいと考えます。

 

一方、プラス改定になると、まず、患者の負担は増えます、また、医療費の源泉となっているもう一つの要素、我々が毎月支払っている保険料も増えます。ついでに国費も増えます。

 

そのため、中医協という診療報酬を議論する会議体では、健康保険関係の団体の代表者も入って議論しているわけですが、
今回のケースのように、診療報酬には医療機関の取組を評価するという面がある一方で、費用負担者から理解されるのか?という視点をもつことが重要かと思います。

 

今回の妊婦加算は最終的に凍結されてしまいましたが、患者にとって、「なるほど確かに妊婦さんにとって手厚い医療をしてくれているな」と実感のできるものであったなら、批判は 免れたかもしれません。

 

 

 

 

書評『人口学への招待』

今年の年末年始の読書では、『人口学への招待』(著:河野稠果)という本を読みました。

10年以上前の本になりますが、十分に読み応えがあるとてもいい本だったので、簡単にメモしたいと思います。

 

最近は、少子化対策というテーマの本を読んだりしていたのですが、
そもそも合計特殊出生率って何?、結局のところ日本の少子化の要因っていうのは何か?
ということに関心があり、この本にトライしてみました。

 

個人的には、少子化対策は雇用形態や保育施策など、いろいろな分野が絡むので、頭の整理ができていません。

理想の子どもの数というのは、日本では2人以上を超えていますが、いろいろな理由があり、対策が打たれています。

 

・教育費が高いため、子どもをもつことに抵抗がある → 幼児教育の無償化

・子どもがいると、仕事が続けられない → 保育の受け皿整備、育児休業

 

 

ただ、今の仮説は、男性の育児参加、家庭内分業の意識改善、長時間労働の多さが、変化しきれていない日本の我が国の社会的に裏側にあって、てこ入れが必要なのではないかということです。

 

-----------------------

・日本の平均寿命は戦後、30年以上延びているが、これは乳幼児死亡率が低下した影響が大きく、高齢者が長く生きるということはない。

→ 平均寿命は、0歳児の平均余命であり、平均寿命を延伸させる要素としては、乳幼児死亡率の低下も含まれる。このため、過去高かった乳幼児死亡率が低下した結果、平均寿命の延びが起きている。また、昔は20歳前後で結核による死亡率が多かった。

→  「65 歳の男子がさらに何年延びるかというと、1935~ 36 年の 9.9 年から2005年の 18・1年へとわずかに 8.2 年延びただけである。次に 75 歳のところの余命は 5.7 年から 11・1年へとわずかに 5.4 年の伸長にすぎない。女子の場合、それぞれ 11・3年、 8.2 年の伸長にすぎない。」とのこと。人生100年時代といっても、高齢者の寿命が無限に伸びていくということもないのかもしれません。

 


・人口の年齢構造の変化は出生率の変化の影響が大きく、死亡率の変化によるところは小さい。

→ 人口ピラミッドの構造変化というのはよく見ます。日本の平均寿命は長いので、僕は平均寿命の延伸の影響があるのかなと思っていたのですが、平均寿命の延伸は全年齢に及ぶ一方、出生率の低下は、人口ピラミッドの底辺にしか効かないので、出生率の影響がやはり大きいということです。ただ、乳児死亡率も現在はかなり低くなっていますので、今後は、高齢者の死亡率の改善により説明されてくるということです。

 


・ 2005年から人口減少が始まっているが、実は1956年以後、ずーっと人口置き換え水準を割っていた。

→ですが、「日本人口の年齢構造は長い間比較的若く、出生率が低くても子どもを産める年齢の女性が(男性も)相対的に多かった」といったことから、人口はずっと増えていた。人口構造の変化は大きなモメンタムがあるということですね。そのため、「今度はそれと反対に出生率がいますぐ人口置換え水準に回復すれば人口減少はすぐに止まるであろうか。答えは「ノー」である。」

 


現代日本で特徴的なことは、結婚している 15 ~ 49 歳女性の避妊実行率が2000年現在 56% と低い。

→日本では結婚した男女の性的行為の頻度が少ない。
→日本では中絶が多く、中絶がカップルの避妊実行率の低さを補っている。避妊方法がコンドームなどに偏り、失敗の場合に女性が中絶に依存するパターンが定着。2005年、出生数106万2530人に対して中絶は 28 万9127件。

 

・近年の少子化は、結婚適齢期の女性が以前よりも結婚しなくなった効果が約7割、結婚している女性が子どもを以前より産まなくなった効果が約3割

 

・生物学的な人口再生産活動期間と社会経済的条件によって人為的に狭められた現実の再生産活動期間のギャップこそが、日本の出生率をかくも低く、人口置換え水準以下に押し下げている直接的原因。

 

・(我が国では、)家庭外の職場や公共施設では女性は自由と平等の権利を十分行使できるが、家庭内に男女の役割分業制度が存続し、女性は家事、育児、老親の介護を押しつけられ、夫からのサポートがほとんどない状況がみられる。
→ 伝統的な家族志向の制度を維持し、男女役割分業制が残っている国ほど、出生率が低い。
→ 日本・韓国の長い労働時間は、男性の家事・育児への参加を阻害し、伝統的性役割意識を温存する役割を果たしている。

 

・フランスの出生率の回復はよく話題にされるが、「(1870年の普仏戦争に敗北して以来、)1世紀にもわたり出生促進政策を国是として行ってきた。北欧諸国も1930年代以来、子どもを持つ家庭への援助と、働く女性の仕事と家庭の両立を支援する手厚い家族政策、住宅政策を実施してきた。昨日今日になって人口・家族政策をはじめたわけではないのである。」

幼稚園と保育園

今回は、このブログではあまり触れてきませんでした、子どもの関係の社会保障をネタにしたいと思います。

 

さて、以前、消費税が引き上げられた財源は、全て、将来への借金の返済と、社会保障を充実されることに使われるという記事を書きました。

 

この関係で、昨年の秋、来年10月からの消費税の引き上げ(8%から10%)に合わせて、幼児教育の無償化がされる方針が打ち出されました。

 

3~5歳の子どもの幼稚園や保育園の費用が全世帯で無料になることとなっています。(0~2歳の子どもについては、低所得の方に限って無料)

 

ここで、幼稚園・保育園とありますが、一体これは何が違うのか、ということを今回のテーマにしたいと思います。

 

幼稚園は、小学校のプレスクールであり、法律上も小学校や中学校と同じ、「学校」というように位置づけられています。

明治時代にドイツの制度を参考にして、日本にも導入され、小学校に入る前に通うものとしてできました。はじめは特に富裕層の子どもたち対象でしたが、それが一般の層にも広がってきました。

朝に行って、昼過ぎに帰るというのが一般ですので、幼稚園では子どもを預かってくる時間が少なく、専業主婦のお母さんの子どもが通うのが多いのかと思います。また、3歳以上が入れることになっています。

 

一方、保育園のルーツは、お母さんが働きに出て、その間に子どもを預かる、というのがルーツにあります。例えばイギリスでは工場で働く女性労働者の子育て不安を解消するため、工場の近くに保育園がつくられたりしました。日本でも、明治維新後に同様のものがつくられたり、農業の繁忙期に子どもを預かる場所のようなものがあったそうです。

 

そのため、保育園は教育機関というより、お母さんの代わりに預かっておくとか、面倒を見ておく、といような性格があり、法律上も「学校」ではなく「児童福祉施設」として位置づけられています。

 

実際、現在の制度でも、就労時間が長くて家で子どもの面倒が見られないと認定を受けた家庭の子どもが保育園に入ることとなっています。また、幼稚園と違って、0~2歳の子も入れることになっています。

なお、幼稚園は基本的に入りたければ入れるという仕組みになっています。

 

ただ、実際のところ、幼稚園でも保育園でも同じような、保育や教育が行われているそうです。子どもにとっては、どちらの施設に入ってようが関係なく、その年齢に応じた幼児教育として必要なものは同じですもんね。

 

最近では、共働き世帯が増えてきており、その社会的ニーズにより、保育園の需要が伸びてきております。そして、幼稚園においても長時間子どもを預かってもらうことができるところがほとんどになっています。

 

そう考えると、幼稚園や保育園という仕組みの境界線というのがますます曖昧になってますよね。そのため、幼稚園や保育園を統合させようという動きがあり、「認定こども園」という施設も出来始めています。これは、幼稚園と保育園の合体版というようなイメージです。

 

実際、子どもにとって、幼稚園とか保育園とかどちらに行った方がいいとかいうものは余りないと聞いています。家庭環境の因子も子どもの成長に影響を与えますしね。

 

なお、話題になっている待機児童については、そのほとんどが0~2歳といった幼稚園に入れる年齢前の子どもです。待機児童はずっと昔から問題で、保育園の施設整備もずっと行われてきているのですが、女性の就業率が上昇し、保育園ニーズも高まるので、なかなかそのニーズを埋めきることができないこととなっています。

 

また、0~2歳の子どもを保育しようとすると、3歳以上の子どもよりもセンシティブで手がかかるので、保育士さんも多く必要になります。これが相まって、施設整備や保育士さんの処遇対策が国を挙げて進められているわけですね。

 

 

人口減少と社会保障

ちょっと前に発刊された山崎史郎さんの本を読みました。著者は、2000年から始まった介護保険の創設に尽力した、元厚生労働省の官僚の方です。


wwwchuko.co.jp

 

日本社会は、既に人口減少社会に突入しています。

人口統計とは、かなり信頼性が高いものでありますが、この人口減少という減少は少なくともこれから、恐らく僕らの世代が引退するまで続くような減少です。

 

日本の出生率は1.5弱ですが、人口減少にもならない水準は、2.1です。その水準に到達するまでは、少なくとも人口が減り続けることになります。

一方、出生率が仮に今すぐ2.1になったとしても、今生まれてくる赤ん坊が成人になり、社会の担い手となるのは、彼らが成人する20年後です。

そのため、人口問題については、かなりロングランで影響を及ぼしてくる、ジワジワと社会への影響がでてくるのですね。(将来のことを楽観的に考える性向がある人間については、なかなかやっかいな問題ですね。。)

 

著者は、人口減少は、「家族」と「雇用」の変化に影響を受けているといいます。

 

「家族」については、高度成長から人口が都市部に流入してきました。これは都市部の方が農村より生産性が高く、賃金が高かったからです。

流入してきた彼らは、核家族を形成し、サザエさん的な三世代同居がなくなり、人々は独立して過ごすようになり、家族の支え合う力というのが低下してきました。

 

「雇用」は、非正規労働者が増えることにより、特に若年層で将来への不安が高まりました。

 

この、「家族」と「雇用」の変化が相まって、晩婚化、未婚化が進み、その結果、出生率も低下してきたというのです。

 

人口減少といっても、何段階かあります。

高齢者が増え、若者は減る  ~2040まで

高齢者は横ばい、若者は減る ~2060まで

高齢者も、若者も減る    それ以降

 

このフェーズ毎に求められる施策は様々で、例えば、①の段階であれば、高齢者が増加するので、介護サービスなどを充実する必要があるでしょう。

一方、②については、これ以上サービスは増やす必要はありません。③では、もはや高齢者のニーズは減少していくので、それをどう縮小するのか、という話になります。

 

日本の中でも自治体によって、どのフェーズにいるかは様々です。

東京は、①の段階なので、あまり実感はありませんが、遅かれ早かれ③の段階に移行することになるので、今、③の段階にある自治体でどのようなことが起きているのか、むしろそこが先進地域なのではないかということです。

 

さて、このような人口減少の社会において、どのような対策が必要であると著者はいうのでしょうか。

 

一つは、シンプルで、少子化対策です。社会保障については、年金・医療・介護全ての面で、若年層が高齢期の方を支えるという構造になっています。そのため、社会保障・日本社会の今後を考える意味でも、少子化対策は必至です。

 

特に、日本は、子育てに関する支出が少ないと言われております。医療や介護は、社会保険方式であり、特に介護では、介護保険制度の創設以来、一気に介護サービスの基盤が充実しました。

 

これは、社会保険方式では国民に保険料を「納得もって」納めてもらう必要があり、この「納得」を得るためには、「いつでも必要になったら医療・介護が受けられるような体制にしておかねばならない」と皆が考えたからです。そのような誘因で介護サービスは現在、制度創設時に比べて3倍にもなっています。

 

一方で現在、子育て分野において、「こども保険」は存在せず、税金で賄われています。これについて、どのようにして、この財源を持ってくるかは今後の国の課題です。

税金は、その使途と結びついていませんが、社会保険料はその使途は、医療か介護かに決まっています。このことも、税の集金力がない要因かもしれませんね。

 

もう一つ著者が主張するのは、社会保障の縦割りな制度を、是正しようというものです。

 

社会保障制度は、医療や介護、それぞれの分野で整備されていますが、その範疇はそれぞれ決まっていて、縦割りに出来ています。その間の溝は、本人や家族のサポートで埋められてきました。

 

一方で、家族の支え合い機能が低下すると、介護をしながら育児もしている、障害を抱えている上で生活が苦しいとか、縦割りの支援だけでは対応できなくなるケースが増えています。

 

さらに、縦割りな制度では、専門分化が進みぎると、サービスを提供する側も人材難となります。

 

このようなことから、自治体によっては、介護や障害、子育てのサービスの相談窓口を一本化して、困ったことがあれば何でも相談できるような支援策が進められています。

これまで、専門分化が進められてきた社会保障制度についても、「よろず相談」というようなことに対応できるようになる必要があるのですね。

 

さらに著者は住宅施策の重要性も指摘します。

人口減少の中では、やはり人々がばらばらに住んでいるよりも、ある程度近くに住んでいる方が、効率的です。住宅施策については、あまり社会保障というイメージはありませんが、諸外国では「住宅手当」があり、日本でも必要になるのではないかと提言しています。

----------------------------------------------------------

僕の感想としては、著者の問題認識や今後の方向性については、現在の社会保障の改革の方向性と同一であり、なるほどよく整理されているなという印象を受けました。地域共生社会、というのは、分かったようで分からないという概念だと思いますが、この本はその理解を助けるものかと思います。

 

一方で、そもそも人間は、将来のことを楽観的に考えたり、将来のことは分かっているけど、現在行動しないというようなことが往々にしてあります。問題が発生してから対策が打たれますが、発生する前に解決することは本当に難しいですよね。特に政治の動きは短期に激しく動くので、ロングスパンで考えるというのが苦手です。

少子化ということについても大昔から問題視されていますが、何か劇的に変化したという感じもしませんし、、、人口減少社会の突入をきっかけに、色々な議論があればいいと思います。 

君たちはどう生きるか

最近、書店にいくと必ずといっていいほど、この本の広告を見るので、どんなもんかという気持ちで読んでみました。

 

books.google.co.jp

 

恐らく中学生や高校生向けに書いた本であると思うのですが、これだけ注目を集めるだけあって、しみいるように読みました。戦前に書かれたものですが、時代を超えて読まれるって本当に素晴らしいですね。

 

僕は物語に登場して示唆に富む「叔父さん」くらいの年齢なのではないかと思うのですが、この「叔父さん」程、ものごとをよく考えられているかな、、と顧みました。

 

特に、長々と書くつもりはないので、僕が気に入ったところだけ抜粋します。

 

「大人になると、多かれ少なかれ、地動説のような考えになって来る。広い世間というものを先にして、その上でいろいろなものごとや、人を理解していくんだ。・・・しかし・・・人間がとかく自分を中心として、ものごとを考えたり、判断するという性質は、大人の間にもまだまだ根深く残っている・・・いや、・・こういう自分中心の考え方を抜けきっているという人は、広い世の中にも、実にまれなのだ。」

 

「もしも君が、学校でこう教えられ、世間でもそれが立派なこととして通っているからといって、ただそれだけで、いわれたとおりに行動し、教えられたとおりに生きてゆこうとするならば・・・それじゃあ、君はいつまでたっても一人前の人間になれないんだ。・・・肝心なことは、世間の眼よりも何よりも、君自身がまず、人間の立派さがどこにあるか、それを本当に君の魂で知ることだ。そうして、心底から、立派な人間になりたいという気持を起こすことだ。いいことをいいことだとし、悪いことを悪いことだとし、一つ一つ判断をしてゆくときにも、また、君がいいと判断したことをやってゆくときにも、いつでも、君の胸からわき出て来るいきいきとした感情に貫かれていなくてはいけない。・・・そうでないと、・・・君はただ「立派そうに見える人」になるばかりで、ほんとうに「立派な人」にはなれないでしまうだろう。」

 

「だから僕たちは、出来るだけ学問を修めて、今までの人類の経験から教わらなければならないんだ。そうでないと、どんなに骨を折っても、そのかいがないことになる。骨を折る以上は、人類が今日まで進歩して来て、まだ解くことが出来ていないでいる問題のために、骨を折らなくてはうそだ。その上で何か発見してこそ、その発見は、人類の発見という意味を持つことが出来る。また、そういう発見だけが、偉大な発見といわれることも出来るんだ。・・・偉大な発見をしたかったら、いまの君は、何よりもまず、もりもり勉強して、今日の学問の頂上にのぼり切ってしまう必要がある。そして、その頂上で仕事をするんだ。しかし。そののぼり切ったところで仕事をするためには、いや、そこまでのぼり切るためにだって、・・・君が夜中に眼をさまし、自分の疑問をどこまでも追っていった、あの精神を失ってしまってはいけないのだよ。」

 

書評:影響力の武器

年末から読んでいた本について、少しずつレビューを書いているものです。

今回は、アメリカの心理学者であるチャルディーニの「影響力の武器」です。

 

www.seishinshobo.co.jp

 

こちらは、自分の親から勧められて読んでいたのですが、身近な「あるある」な出来事から人の心理の説明を試みているものです。

結構、そうだよねとか、当たり前だよね、とか思うところもあるのですが、そのような「当たり前」を意識することで、自分や他の人に対する理解も深まると思います。

 

本の帯には、

・品薄な商品ほど、なぜかほしくなる

・欲しくもないのに高価な英会話の教材を注文してしまった

・上司のミスに気付いたのに指摘できなかった

お笑い番組は笑い声が入ったていた方が面白い

というようなことについて、経験ありませんか? と問いかけています。

 

この本ではそのような例示から始めて、どのように人の意思決定が決められているのかを説明していきます。

 

確かに僕たちの周りでは、ニュースがあふれていて、商品も多く、情報の取捨選択や判断するのが、難しいと感じるときがあります。

 

今日のご飯について何にしようかな、という些細なことでも、レシピなどの情報の収集、各レシピの情報の比較・評価、実際の買い物・調理、というような、プロセスがあって、「クックパッドで人気そうなやつはどれかな?」というように携帯で調べたりしますよね。

 

人間は、膨大な情報や選択肢の中からチョイスするためには、全ての選択肢を精査できませんし、ある程度、「みんながやっているから」とか、「前も同じようにやったし」とか、無意識のうちに、手を抜いて、判断を行っています。

 

それをカテゴライズしていくと、以下のようにいくつかのパターンに分かれ、これらの人間の心理的な性質が僕らの選択や判断に影響を与えていると言うのです。

 

1)返報性(ギブ&テイク)

 人は、他の人から何か恩義を受けたら、返さずにはいられない、という性質があります。これは、古来から人間は「持ちつ持たれつ」の関係で社会を構成してきたからかもしれません。

 

 これを返報性というのですが、「無料なものほど高いものはない」というように、デパートで試食したらなんかその場合を離れにくくなります。ほかには、女性はお金のかかる夜のデート代を負担してもらうと、その男性に対してお返しをしなければと思います。

 また、最近台湾で地震が起きた時、日本人として支援してあげたい、と多くの人が思ったのではないでしょうか。これも震災の時、台湾から支援があったからですよね。

 

 また、これを応用して、「まず相手に拒否させ、その後こちらが譲歩する」という交渉術を紹介しています。こちらが譲歩したら、相手の気持ちに返報性が働くので、相手側の譲歩を引き出しやすくなる、という方法です。

 

2)コミットメント

 人は、自分の言ったことや、やってきたことに対して、首尾一貫してようと思います。

 

 彼は例として、朝鮮戦争の捕虜となったアメリカ兵の話を挙げます。捕らえた中国側はアメリカ兵に対して、「思っていなくてもいいので、共産圏を賞賛するエッセイ」を書かせて、公表・表彰までしました。その結果、アメリカ兵の中にも、共産主義もそんなに悪くないのでは、と考えるようになったものが出てきて、捕虜を扱いやすくなりました。

 コミットメントは、行動を含むこと、公表されること、努力を要すること、自分の意志でやること、により強力に働くといいます。

 

 これを応用すると、ダイエットの目標とかも、公表して人と共有しておくと有効です。サッカーの本田圭佑選手もビッグマウスで有名ですが、「言った分には引き下がれない」と自らにハードルを課して、自分のパフォーマンスをあげるという戦略かもしれません。

 

 また、部活での新入生のしごき、というのも組織としてメリットがあります。「あれだけ大変だった『しごき』を耐えた!」ということでコミットメントが働き、組織への帰属意識が高まるのですね。

 

 僕はこの考えに感銘を受け、自分の今年の目標を紙に書いてきれいな額にいれましたTOEFL100点をとるとか、本を毎週一冊読むとかです。この記述自体もコミットメントです。

 

3)社会的証明

 続いては、人間は皆がやっていることに流される、ということです。

 

 この本で一番興味深かった例として、世界の終わりの日を予言するカルト集団の例があります。彼らのいう、世界の終わりの日には世界は終わらないと、集団は激しく動揺します。

 ですが意外なことに、予言が外れてから、集団は幻滅して解散するのではなく、信仰を強め、街に出て熱烈に人々に改宗を説くということです。

 

  信者たちはカルト集団のために、家族や仕事など多大な犠牲を払いました。後戻りはえきません。

 その教義が間違っていたとなると、とても耐えられそうにないので、信者は少しでも多くの人を改宗させ、「教義は事実として間違っていたけど、多くの人が信じている宗教である」という状況にもっていこうとしたのです。誰も改宗なぞしないと思うですが、信者たちに残された方法は、それしかなかったのですね。

 

 また、街で困っている人を見かけたときに、「誰かがあの人を助けてくれるだろう」と思ってスルーするということがありますよね。(僕はあります。)でも、街中に困っている人と自分の2人だけだったら、助けようと思うわけです。

 

 人は、特に自分と類似している人の行動に影響を受けます。同世代や同環境の人がどのように行動したのか。

 皆が受けている大学を受けるとか、先輩の多い会社に就職するとか、自分の人生の選択も多分にこれに影響を受けているな、と改めて思いました。

 

4)好意・権威

 人は、自分が好意を持っている人からの依頼には、イエスと答えます。

 

 例えば、できるビジネスマンは、おしゃれにも気をつかって、見た目的にも「できる」という雰囲気をだします。これは、ハロー効果といって、「『できる』ように見える人がいうことは正しいだろう」と人は考えるということです。

 

 さらに、自分との共通点がある人、自分をほめてくれる人、頻繁に現れて馴染みがある人にも好意を感じますので、セールストークをされても、「提案者の人柄」と「オファーの内容」についても切り離して、割り切って考える必要があります。

 

 また、一般に広告に素敵な女優さんを使うことがありますが、これは「連合」という効果で、「素敵な女優さん」⇒「好印象」⇒「女優さんが広告する商品も好印象」、と人が感じるのを狙ったものということです。

 おいしい料理を食べながら商談をすると、「おいしい料理」⇒「好印象」⇒「その席の場での提案も好印象」ということもあるということで、なるほど。。。と思いますよね。

 

 また、権威がありそうな人が言っていることは、正しいのだろう、と人は思ってしまいます。

 

 心理学の授業で聞いたことがある方もいるかと思いますが、著者はミルグラムの実験を紹介しています。

 これは被験者が、研究者風情の教師の指示に従い、どの程度まで他の者に電気ショックを与えるかを調べた実験です。

 電気ショックは実際には流れていないのですが、役者はもだえ苦しむ演技をします。被験者はそれを見て「やめてくれ」というのですが、教師が指示をし続けるので、電気ショックを与えるボタンを押し続けたというショッキングなものでした。

 ここからのインプリケーションとしては、全く理屈に合わないことでも、専門家とか権威(っぽく見える人)が言っていることについて、人は抗いにくいということです。

 

 かっこいい肩書をもっていたり、背が高く見えたり、政治家、医者、警察etc、、もちろん彼らがいっていることが間違いというつもりはありませんが。。

 

5)希少性

 最後は、「数量限定」といったように、人は機会を失いかけていると、それに価値があるように思います。

 

 僕たちは、「限定」ということで、「いつでも選択できる」という自由を失い、逆に自由を欲するという形で自由の喪失に対して反応します。

 ロミオとジュリエットの熱い恋愛も、親からの干渉により選択の自由が狭めらえたことにより、逆に燃え上がったのではないかというわけです。行動経済学では、損失曲線がありますがそのような話に似ていますよね。

 

 興味深かったことは、市民革命の担い手も、「一旦はよりよい生活を少なからず味わった人」が多いということです。彼らはその味わった生活水準を低下するような事態が生じた時に、革命に立ち上がります。例えば、アメリカの独立戦争はイギリスの課税、アメリカの公民権運動は第2次世界大戦後の黒人の経済的・社会的発展が足踏みしたこと、ソ連の崩壊はゴルバチョフにより一定程度認められていた自由が脅威にさらされたこと、などです。

 

-----

この本は、実社会にも使えそうなことや、行動経済学にも関係するようなことが整理されており、かなり満足のいくものでした。 

書評:高度成長

経済史シリーズということで引き続き、『高度成長』(吉川洋)という本についてもポストしたいと思います。

www.kinokuniya.co.jp

この本や、財政審の部会長でもあった、偉い先生の本ですが、高度成長期の人々が実際にどのような感じだったのか、肌感覚で分かるような書きぶりになっているのが面白いところです。

 

高度経済成長は、投資が投資を呼ぶといったように、鉄鋼など素材産業が拡大、耐久消費財の価格低下、需要増、投資増・・・といったようにまさに好循環が起きたという時代でした。

耐久消費財では三種の神器といわれる、テレビ・洗濯機・冷蔵庫の需要が引っ張りました。

 

この当時、洗濯機を初めて使った女性の手記のようなものが掲載されていたのですが、その驚きぶりといったら、さぞすごかったのだろうと、ひしひしと感じました。当時はいわば、洗濯板でごしごし洗っていた時代ですから、自動で洗濯をしてくれるものなんて本当に驚きだったのでしょうね。「洗濯機にお神酒をあげたい」というような気持ちだったそうです。

 

一方で、この三種の神器のなかでも、低所得者も含め、一番普及が早かったのは、テレビというのはすごい興味深い事実でした。生活の質を上げてくれるのは洗濯機や冷蔵庫なのではないかと普通思うのですが、人間の「見ること」への欲望というのはすごいのですね。

この当時、美智子さまの結婚や、プロ野球力道山といったイベントやスターがテレビ需要に拍車をかけたそうです。

少し前に、開発経済の本を読みましたが、貧しくて必要なカロリー摂取が出来ていない場合であっても、食費より娯楽にお金をかけるという人の性があるということが指摘されており、どの時代においても、人の娯楽への欲望というのは変わらないのだなと思いました。

 

また、洗濯機の普及は農村では遅かったようです。これは三世代同居とかのときに、お嫁さんが洗濯機を買って楽をしたら、姑から「私たちが若いころは苦労したのに何事か」というようなことを言われることもあったそうです。

部活の先輩が一年生に合宿所で皿洗いさせるような感じですよね。「俺らも一年生の頃苦労したんだから、お前らもやるんだぞ」と。

 

さて、高度経済成長は、農業より工業の生産性を押し上げ、雇用をうみ、賃金をあげ、その結果、都市部に人が集中することになりました。そこには、集団で学生が都市部に流入するようなこともあったのですが、核家族化が進み、世帯数も増えました。

 

世帯数が増えると、需要が増えます。この需要増が、高度経済成長の要因の一つでした。著者が指摘するのは、高度経済成長が終わったのはオイルショックとよく思われているけれども、実は世帯数の増加がストップしたことにあるとのことです。

1970年代には、都市部への人の流入がひと段落し、世帯数が急増するという自体はなくなりました。これが、需要増をとめたのだということですね。

 

都市部への集中や、世帯の増加(単身の高齢者・・)といったことは今でもありそうですが、状況は高度成長と全然違いますよね。

 

高度成長の時代には、平均寿命も大きく伸びる一方、公害も問題になった時代でした。

今の高齢者、自分の祖父母たちが主役だった時代だと思うと遠いようで近いですね。自分がその時生きていたら何をしていたのだろうか、と純粋に思いました。