20代の社会保障のブログ

ニュースで見るけど難しくてよく分からない社会保障を少しだけ噛み砕いていくブログです。若者目線で綴っていきます。

幼稚園と保育園

今回は、このブログではあまり触れてきませんでした、子どもの関係の社会保障をネタにしたいと思います。

 

さて、以前、消費税が引き上げられた財源は、全て、将来への借金の返済と、社会保障を充実されることに使われるという記事を書きました。

 

この関係で、昨年の秋、来年10月からの消費税の引き上げ(8%から10%)に合わせて、幼児教育の無償化がされる方針が打ち出されました。

 

3~5歳の子どもの幼稚園や保育園の費用が全世帯で無料になることとなっています。(0~2歳の子どもについては、低所得の方に限って無料)

 

ここで、幼稚園・保育園とありますが、一体これは何が違うのか、ということを今回のテーマにしたいと思います。

 

幼稚園は、小学校のプレスクールであり、法律上も小学校や中学校と同じ、「学校」というように位置づけられています。

明治時代にドイツの制度を参考にして、日本にも導入され、小学校に入る前に通うものとしてできました。はじめは特に富裕層の子どもたち対象でしたが、それが一般の層にも広がってきました。

朝に行って、昼過ぎに帰るというのが一般ですので、幼稚園では子どもを預かってくる時間が少なく、専業主婦のお母さんの子どもが通うのが多いのかと思います。また、3歳以上が入れることになっています。

 

一方、保育園のルーツは、お母さんが働きに出て、その間に子どもを預かる、というのがルーツにあります。例えばイギリスでは工場で働く女性労働者の子育て不安を解消するため、工場の近くに保育園がつくられたりしました。日本でも、明治維新後に同様のものがつくられたり、農業の繁忙期に子どもを預かる場所のようなものがあったそうです。

 

そのため、保育園は教育機関というより、お母さんの代わりに預かっておくとか、面倒を見ておく、といような性格があり、法律上も「学校」ではなく「児童福祉施設」として位置づけられています。

 

実際、現在の制度でも、就労時間が長くて家で子どもの面倒が見られないと認定を受けた家庭の子どもが保育園に入ることとなっています。また、幼稚園と違って、0~2歳の子も入れることになっています。

なお、幼稚園は基本的に入りたければ入れるという仕組みになっています。

 

ただ、実際のところ、幼稚園でも保育園でも同じような、保育や教育が行われているそうです。子どもにとっては、どちらの施設に入ってようが関係なく、その年齢に応じた幼児教育として必要なものは同じですもんね。

 

最近では、共働き世帯が増えてきており、その社会的ニーズにより、保育園の需要が伸びてきております。そして、幼稚園においても長時間子どもを預かってもらうことができるところがほとんどになっています。

 

そう考えると、幼稚園や保育園という仕組みの境界線というのがますます曖昧になってますよね。そのため、幼稚園や保育園を統合させようという動きがあり、「認定こども園」という施設も出来始めています。これは、幼稚園と保育園の合体版というようなイメージです。

 

実際、子どもにとって、幼稚園とか保育園とかどちらに行った方がいいとかいうものは余りないと聞いています。家庭環境の因子も子どもの成長に影響を与えますしね。

 

なお、話題になっている待機児童については、そのほとんどが0~2歳といった幼稚園に入れる年齢前の子どもです。待機児童はずっと昔から問題で、保育園の施設整備もずっと行われてきているのですが、女性の就業率が上昇し、保育園ニーズも高まるので、なかなかそのニーズを埋めきることができないこととなっています。

 

また、0~2歳の子どもを保育しようとすると、3歳以上の子どもよりもセンシティブで手がかかるので、保育士さんも多く必要になります。これが相まって、施設整備や保育士さんの処遇対策が国を挙げて進められているわけですね。

 

 

人口減少と社会保障

ちょっと前に発刊された山崎史郎さんの本を読みました。著者は、2000年から始まった介護保険の創設に尽力した、元厚生労働省の官僚の方です。


wwwchuko.co.jp

 

日本社会は、既に人口減少社会に突入しています。

人口統計とは、かなり信頼性が高いものでありますが、この人口減少という減少は少なくともこれから、恐らく僕らの世代が引退するまで続くような減少です。

 

日本の出生率は1.5弱ですが、人口減少にもならない水準は、2.1です。その水準に到達するまでは、少なくとも人口が減り続けることになります。

一方、出生率が仮に今すぐ2.1になったとしても、今生まれてくる赤ん坊が成人になり、社会の担い手となるのは、彼らが成人する20年後です。

そのため、人口問題については、かなりロングランで影響を及ぼしてくる、ジワジワと社会への影響がでてくるのですね。(将来のことを楽観的に考える性向がある人間については、なかなかやっかいな問題ですね。。)

 

著者は、人口減少は、「家族」と「雇用」の変化に影響を受けているといいます。

 

「家族」については、高度成長から人口が都市部に流入してきました。これは都市部の方が農村より生産性が高く、賃金が高かったからです。

流入してきた彼らは、核家族を形成し、サザエさん的な三世代同居がなくなり、人々は独立して過ごすようになり、家族の支え合う力というのが低下してきました。

 

「雇用」は、非正規労働者が増えることにより、特に若年層で将来への不安が高まりました。

 

この、「家族」と「雇用」の変化が相まって、晩婚化、未婚化が進み、その結果、出生率も低下してきたというのです。

 

人口減少といっても、何段階かあります。

高齢者が増え、若者は減る  ~2040まで

高齢者は横ばい、若者は減る ~2060まで

高齢者も、若者も減る    それ以降

 

このフェーズ毎に求められる施策は様々で、例えば、①の段階であれば、高齢者が増加するので、介護サービスなどを充実する必要があるでしょう。

一方、②については、これ以上サービスは増やす必要はありません。③では、もはや高齢者のニーズは減少していくので、それをどう縮小するのか、という話になります。

 

日本の中でも自治体によって、どのフェーズにいるかは様々です。

東京は、①の段階なので、あまり実感はありませんが、遅かれ早かれ③の段階に移行することになるので、今、③の段階にある自治体でどのようなことが起きているのか、むしろそこが先進地域なのではないかということです。

 

さて、このような人口減少の社会において、どのような対策が必要であると著者はいうのでしょうか。

 

一つは、シンプルで、少子化対策です。社会保障については、年金・医療・介護全ての面で、若年層が高齢期の方を支えるという構造になっています。そのため、社会保障・日本社会の今後を考える意味でも、少子化対策は必至です。

 

特に、日本は、子育てに関する支出が少ないと言われております。医療や介護は、社会保険方式であり、特に介護では、介護保険制度の創設以来、一気に介護サービスの基盤が充実しました。

 

これは、社会保険方式では国民に保険料を「納得もって」納めてもらう必要があり、この「納得」を得るためには、「いつでも必要になったら医療・介護が受けられるような体制にしておかねばならない」と皆が考えたからです。そのような誘因で介護サービスは現在、制度創設時に比べて3倍にもなっています。

 

一方で現在、子育て分野において、「こども保険」は存在せず、税金で賄われています。これについて、どのようにして、この財源を持ってくるかは今後の国の課題です。

税金は、その使途と結びついていませんが、社会保険料はその使途は、医療か介護かに決まっています。このことも、税の集金力がない要因かもしれませんね。

 

もう一つ著者が主張するのは、社会保障の縦割りな制度を、是正しようというものです。

 

社会保障制度は、医療や介護、それぞれの分野で整備されていますが、その範疇はそれぞれ決まっていて、縦割りに出来ています。その間の溝は、本人や家族のサポートで埋められてきました。

 

一方で、家族の支え合い機能が低下すると、介護をしながら育児もしている、障害を抱えている上で生活が苦しいとか、縦割りの支援だけでは対応できなくなるケースが増えています。

 

さらに、縦割りな制度では、専門分化が進みぎると、サービスを提供する側も人材難となります。

 

このようなことから、自治体によっては、介護や障害、子育てのサービスの相談窓口を一本化して、困ったことがあれば何でも相談できるような支援策が進められています。

これまで、専門分化が進められてきた社会保障制度についても、「よろず相談」というようなことに対応できるようになる必要があるのですね。

 

さらに著者は住宅施策の重要性も指摘します。

人口減少の中では、やはり人々がばらばらに住んでいるよりも、ある程度近くに住んでいる方が、効率的です。住宅施策については、あまり社会保障というイメージはありませんが、諸外国では「住宅手当」があり、日本でも必要になるのではないかと提言しています。

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僕の感想としては、著者の問題認識や今後の方向性については、現在の社会保障の改革の方向性と同一であり、なるほどよく整理されているなという印象を受けました。地域共生社会、というのは、分かったようで分からないという概念だと思いますが、この本はその理解を助けるものかと思います。

 

一方で、そもそも人間は、将来のことを楽観的に考えたり、将来のことは分かっているけど、現在行動しないというようなことが往々にしてあります。問題が発生してから対策が打たれますが、発生する前に解決することは本当に難しいですよね。特に政治の動きは短期に激しく動くので、ロングスパンで考えるというのが苦手です。

少子化ということについても大昔から問題視されていますが、何か劇的に変化したという感じもしませんし、、、人口減少社会の突入をきっかけに、色々な議論があればいいと思います。 

君たちはどう生きるか

最近、書店にいくと必ずといっていいほど、この本の広告を見るので、どんなもんかという気持ちで読んでみました。

 

books.google.co.jp

 

恐らく中学生や高校生向けに書いた本であると思うのですが、これだけ注目を集めるだけあって、しみいるように読みました。戦前に書かれたものですが、時代を超えて読まれるって本当に素晴らしいですね。

 

僕は物語に登場して示唆に富む「叔父さん」くらいの年齢なのではないかと思うのですが、この「叔父さん」程、ものごとをよく考えられているかな、、と顧みました。

 

特に、長々と書くつもりはないので、僕が気に入ったところだけ抜粋します。

 

「大人になると、多かれ少なかれ、地動説のような考えになって来る。広い世間というものを先にして、その上でいろいろなものごとや、人を理解していくんだ。・・・しかし・・・人間がとかく自分を中心として、ものごとを考えたり、判断するという性質は、大人の間にもまだまだ根深く残っている・・・いや、・・こういう自分中心の考え方を抜けきっているという人は、広い世の中にも、実にまれなのだ。」

 

「もしも君が、学校でこう教えられ、世間でもそれが立派なこととして通っているからといって、ただそれだけで、いわれたとおりに行動し、教えられたとおりに生きてゆこうとするならば・・・それじゃあ、君はいつまでたっても一人前の人間になれないんだ。・・・肝心なことは、世間の眼よりも何よりも、君自身がまず、人間の立派さがどこにあるか、それを本当に君の魂で知ることだ。そうして、心底から、立派な人間になりたいという気持を起こすことだ。いいことをいいことだとし、悪いことを悪いことだとし、一つ一つ判断をしてゆくときにも、また、君がいいと判断したことをやってゆくときにも、いつでも、君の胸からわき出て来るいきいきとした感情に貫かれていなくてはいけない。・・・そうでないと、・・・君はただ「立派そうに見える人」になるばかりで、ほんとうに「立派な人」にはなれないでしまうだろう。」

 

「だから僕たちは、出来るだけ学問を修めて、今までの人類の経験から教わらなければならないんだ。そうでないと、どんなに骨を折っても、そのかいがないことになる。骨を折る以上は、人類が今日まで進歩して来て、まだ解くことが出来ていないでいる問題のために、骨を折らなくてはうそだ。その上で何か発見してこそ、その発見は、人類の発見という意味を持つことが出来る。また、そういう発見だけが、偉大な発見といわれることも出来るんだ。・・・偉大な発見をしたかったら、いまの君は、何よりもまず、もりもり勉強して、今日の学問の頂上にのぼり切ってしまう必要がある。そして、その頂上で仕事をするんだ。しかし。そののぼり切ったところで仕事をするためには、いや、そこまでのぼり切るためにだって、・・・君が夜中に眼をさまし、自分の疑問をどこまでも追っていった、あの精神を失ってしまってはいけないのだよ。」

 

書評:影響力の武器

年末から読んでいた本について、少しずつレビューを書いているものです。

今回は、アメリカの心理学者であるチャルディーニの「影響力の武器」です。

 

www.seishinshobo.co.jp

 

こちらは、自分の親から勧められて読んでいたのですが、身近な「あるある」な出来事から人の心理の説明を試みているものです。

結構、そうだよねとか、当たり前だよね、とか思うところもあるのですが、そのような「当たり前」を意識することで、自分や他の人に対する理解も深まると思います。

 

本の帯には、

・品薄な商品ほど、なぜかほしくなる

・欲しくもないのに高価な英会話の教材を注文してしまった

・上司のミスに気付いたのに指摘できなかった

お笑い番組は笑い声が入ったていた方が面白い

というようなことについて、経験ありませんか? と問いかけています。

 

この本ではそのような例示から始めて、どのように人の意思決定が決められているのかを説明していきます。

 

確かに僕たちの周りでは、ニュースがあふれていて、商品も多く、情報の取捨選択や判断するのが、難しいと感じるときがあります。

 

今日のご飯について何にしようかな、という些細なことでも、レシピなどの情報の収集、各レシピの情報の比較・評価、実際の買い物・調理、というような、プロセスがあって、「クックパッドで人気そうなやつはどれかな?」というように携帯で調べたりしますよね。

 

人間は、膨大な情報や選択肢の中からチョイスするためには、全ての選択肢を精査できませんし、ある程度、「みんながやっているから」とか、「前も同じようにやったし」とか、無意識のうちに、手を抜いて、判断を行っています。

 

それをカテゴライズしていくと、以下のようにいくつかのパターンに分かれ、これらの人間の心理的な性質が僕らの選択や判断に影響を与えていると言うのです。

 

1)返報性(ギブ&テイク)

 人は、他の人から何か恩義を受けたら、返さずにはいられない、という性質があります。これは、古来から人間は「持ちつ持たれつ」の関係で社会を構成してきたからかもしれません。

 

 これを返報性というのですが、「無料なものほど高いものはない」というように、デパートで試食したらなんかその場合を離れにくくなります。ほかには、女性はお金のかかる夜のデート代を負担してもらうと、その男性に対してお返しをしなければと思います。

 また、最近台湾で地震が起きた時、日本人として支援してあげたい、と多くの人が思ったのではないでしょうか。これも震災の時、台湾から支援があったからですよね。

 

 また、これを応用して、「まず相手に拒否させ、その後こちらが譲歩する」という交渉術を紹介しています。こちらが譲歩したら、相手の気持ちに返報性が働くので、相手側の譲歩を引き出しやすくなる、という方法です。

 

2)コミットメント

 人は、自分の言ったことや、やってきたことに対して、首尾一貫してようと思います。

 

 彼は例として、朝鮮戦争の捕虜となったアメリカ兵の話を挙げます。捕らえた中国側はアメリカ兵に対して、「思っていなくてもいいので、共産圏を賞賛するエッセイ」を書かせて、公表・表彰までしました。その結果、アメリカ兵の中にも、共産主義もそんなに悪くないのでは、と考えるようになったものが出てきて、捕虜を扱いやすくなりました。

 コミットメントは、行動を含むこと、公表されること、努力を要すること、自分の意志でやること、により強力に働くといいます。

 

 これを応用すると、ダイエットの目標とかも、公表して人と共有しておくと有効です。サッカーの本田圭佑選手もビッグマウスで有名ですが、「言った分には引き下がれない」と自らにハードルを課して、自分のパフォーマンスをあげるという戦略かもしれません。

 

 また、部活での新入生のしごき、というのも組織としてメリットがあります。「あれだけ大変だった『しごき』を耐えた!」ということでコミットメントが働き、組織への帰属意識が高まるのですね。

 

 僕はこの考えに感銘を受け、自分の今年の目標を紙に書いてきれいな額にいれましたTOEFL100点をとるとか、本を毎週一冊読むとかです。この記述自体もコミットメントです。

 

3)社会的証明

 続いては、人間は皆がやっていることに流される、ということです。

 

 この本で一番興味深かった例として、世界の終わりの日を予言するカルト集団の例があります。彼らのいう、世界の終わりの日には世界は終わらないと、集団は激しく動揺します。

 ですが意外なことに、予言が外れてから、集団は幻滅して解散するのではなく、信仰を強め、街に出て熱烈に人々に改宗を説くということです。

 

  信者たちはカルト集団のために、家族や仕事など多大な犠牲を払いました。後戻りはえきません。

 その教義が間違っていたとなると、とても耐えられそうにないので、信者は少しでも多くの人を改宗させ、「教義は事実として間違っていたけど、多くの人が信じている宗教である」という状況にもっていこうとしたのです。誰も改宗なぞしないと思うですが、信者たちに残された方法は、それしかなかったのですね。

 

 また、街で困っている人を見かけたときに、「誰かがあの人を助けてくれるだろう」と思ってスルーするということがありますよね。(僕はあります。)でも、街中に困っている人と自分の2人だけだったら、助けようと思うわけです。

 

 人は、特に自分と類似している人の行動に影響を受けます。同世代や同環境の人がどのように行動したのか。

 皆が受けている大学を受けるとか、先輩の多い会社に就職するとか、自分の人生の選択も多分にこれに影響を受けているな、と改めて思いました。

 

4)好意・権威

 人は、自分が好意を持っている人からの依頼には、イエスと答えます。

 

 例えば、できるビジネスマンは、おしゃれにも気をつかって、見た目的にも「できる」という雰囲気をだします。これは、ハロー効果といって、「『できる』ように見える人がいうことは正しいだろう」と人は考えるということです。

 

 さらに、自分との共通点がある人、自分をほめてくれる人、頻繁に現れて馴染みがある人にも好意を感じますので、セールストークをされても、「提案者の人柄」と「オファーの内容」についても切り離して、割り切って考える必要があります。

 

 また、一般に広告に素敵な女優さんを使うことがありますが、これは「連合」という効果で、「素敵な女優さん」⇒「好印象」⇒「女優さんが広告する商品も好印象」、と人が感じるのを狙ったものということです。

 おいしい料理を食べながら商談をすると、「おいしい料理」⇒「好印象」⇒「その席の場での提案も好印象」ということもあるということで、なるほど。。。と思いますよね。

 

 また、権威がありそうな人が言っていることは、正しいのだろう、と人は思ってしまいます。

 

 心理学の授業で聞いたことがある方もいるかと思いますが、著者はミルグラムの実験を紹介しています。

 これは被験者が、研究者風情の教師の指示に従い、どの程度まで他の者に電気ショックを与えるかを調べた実験です。

 電気ショックは実際には流れていないのですが、役者はもだえ苦しむ演技をします。被験者はそれを見て「やめてくれ」というのですが、教師が指示をし続けるので、電気ショックを与えるボタンを押し続けたというショッキングなものでした。

 ここからのインプリケーションとしては、全く理屈に合わないことでも、専門家とか権威(っぽく見える人)が言っていることについて、人は抗いにくいということです。

 

 かっこいい肩書をもっていたり、背が高く見えたり、政治家、医者、警察etc、、もちろん彼らがいっていることが間違いというつもりはありませんが。。

 

5)希少性

 最後は、「数量限定」といったように、人は機会を失いかけていると、それに価値があるように思います。

 

 僕たちは、「限定」ということで、「いつでも選択できる」という自由を失い、逆に自由を欲するという形で自由の喪失に対して反応します。

 ロミオとジュリエットの熱い恋愛も、親からの干渉により選択の自由が狭めらえたことにより、逆に燃え上がったのではないかというわけです。行動経済学では、損失曲線がありますがそのような話に似ていますよね。

 

 興味深かったことは、市民革命の担い手も、「一旦はよりよい生活を少なからず味わった人」が多いということです。彼らはその味わった生活水準を低下するような事態が生じた時に、革命に立ち上がります。例えば、アメリカの独立戦争はイギリスの課税、アメリカの公民権運動は第2次世界大戦後の黒人の経済的・社会的発展が足踏みしたこと、ソ連の崩壊はゴルバチョフにより一定程度認められていた自由が脅威にさらされたこと、などです。

 

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この本は、実社会にも使えそうなことや、行動経済学にも関係するようなことが整理されており、かなり満足のいくものでした。 

書評:高度成長

経済史シリーズということで引き続き、『高度成長』(吉川洋)という本についてもポストしたいと思います。

www.kinokuniya.co.jp

この本や、財政審の部会長でもあった、偉い先生の本ですが、高度成長期の人々が実際にどのような感じだったのか、肌感覚で分かるような書きぶりになっているのが面白いところです。

 

高度経済成長は、投資が投資を呼ぶといったように、鉄鋼など素材産業が拡大、耐久消費財の価格低下、需要増、投資増・・・といったようにまさに好循環が起きたという時代でした。

耐久消費財では三種の神器といわれる、テレビ・洗濯機・冷蔵庫の需要が引っ張りました。

 

この当時、洗濯機を初めて使った女性の手記のようなものが掲載されていたのですが、その驚きぶりといったら、さぞすごかったのだろうと、ひしひしと感じました。当時はいわば、洗濯板でごしごし洗っていた時代ですから、自動で洗濯をしてくれるものなんて本当に驚きだったのでしょうね。「洗濯機にお神酒をあげたい」というような気持ちだったそうです。

 

一方で、この三種の神器のなかでも、低所得者も含め、一番普及が早かったのは、テレビというのはすごい興味深い事実でした。生活の質を上げてくれるのは洗濯機や冷蔵庫なのではないかと普通思うのですが、人間の「見ること」への欲望というのはすごいのですね。

この当時、美智子さまの結婚や、プロ野球力道山といったイベントやスターがテレビ需要に拍車をかけたそうです。

少し前に、開発経済の本を読みましたが、貧しくて必要なカロリー摂取が出来ていない場合であっても、食費より娯楽にお金をかけるという人の性があるということが指摘されており、どの時代においても、人の娯楽への欲望というのは変わらないのだなと思いました。

 

また、洗濯機の普及は農村では遅かったようです。これは三世代同居とかのときに、お嫁さんが洗濯機を買って楽をしたら、姑から「私たちが若いころは苦労したのに何事か」というようなことを言われることもあったそうです。

部活の先輩が一年生に合宿所で皿洗いさせるような感じですよね。「俺らも一年生の頃苦労したんだから、お前らもやるんだぞ」と。

 

さて、高度経済成長は、農業より工業の生産性を押し上げ、雇用をうみ、賃金をあげ、その結果、都市部に人が集中することになりました。そこには、集団で学生が都市部に流入するようなこともあったのですが、核家族化が進み、世帯数も増えました。

 

世帯数が増えると、需要が増えます。この需要増が、高度経済成長の要因の一つでした。著者が指摘するのは、高度経済成長が終わったのはオイルショックとよく思われているけれども、実は世帯数の増加がストップしたことにあるとのことです。

1970年代には、都市部への人の流入がひと段落し、世帯数が急増するという自体はなくなりました。これが、需要増をとめたのだということですね。

 

都市部への集中や、世帯の増加(単身の高齢者・・)といったことは今でもありそうですが、状況は高度成長と全然違いますよね。

 

高度成長の時代には、平均寿命も大きく伸びる一方、公害も問題になった時代でした。

今の高齢者、自分の祖父母たちが主役だった時代だと思うと遠いようで近いですね。自分がその時生きていたら何をしていたのだろうか、と純粋に思いました。

 

書評:「豊かさ」の誕生

しばらくは、社会保障の話は置いておいて、最近読んだ本をまとめるという作業を淡々としたいと思っています。

 

最近経済史の本を読もうと考え、「『豊かさ』の誕生」(ウィリアム・バーンスタイン)という本を読みました。なかなか面白かったので、ここに自己満足的ですが、感想のようなものを記載したいと思います。

www.nikkeibook.com

この本が主張することは、経済発展には4つの要素が必要であるということです。その要素とは、私有財産制、科学的合理主義、効率的な市場、輸送手段といいます。

 

彼が最も重視しているようなのは、私有財産制です。

これはなによりもまず、自分の努力は自分に返ってくるということがなければ、人は努力いないだろいうということにつきます。

 

例えば中世の封建社会や、社会主義国の失敗を彼は例としてあげています。さらに、現在の独裁国家についてもそもそもの私有財産制が確立されていないので、発展することはないと言います。

 

そして、私有財産制を守るのは法による支配です。

法による支配はて古くはイギリスのジョン王の時代、マグナカルタから始まりました。

王様とはいえ、法を守らなければならないとしたことは、人々にいきなり王様から搾取されることはないだろうという気持ちにさせ、自分の富を築こうという思いにさせるのですね。さらにエドワードコークらの活躍らにより、法の支配という基礎が出来たというのです。

 

次に近代的合理主義について彼は論じます。経済史の本であると思ったのに、ガリレオコペルニクスといった科学者たちの話が出てきたのが非常に興味深かったです。中世の社会では、教会の教えに反するものは異端として処罰されることとされていました。そのような中では、地球が太陽の周りを回っているというようなことを、考えるようなこともしなかったでしょうし、考えても、それを隠すようなことになります。

 

しかし、天体を観測する技術が向上したり、明らかに教会の教えと矛盾するようなことが出てきます。これについて、フランシス・ベーコンが仮説⇒実験という、帰納法を唱え、科学は開花しました。これまで、人々は、公理から一つ一つ、こうだからこうで、そしたらこうで、、、というように考えていました。

 

そのような中では、ドラスティックな考えは生まれません。それより仮説思考で、仮設や結論をまずたて、実験で明らかにしていく、というようなやりかたをベーコンは唱えたのですね。

 

さらに、科学的合理主義の成果としてアイディアが蓄積されても、商業化したりするためには、資本が必要になります。これが効率的な資本市場です。事業をするにはお金が必要になりますが、特に重要になるのは、利子です。大昔の世界では、利子が高く、国家の信用もなかったので、利子が数十パーセントということが普通でした。

これが、17世紀のオランダや18世紀のイギリスではどんどん下がってきて、人々はお金を集めるようなことができるようになります。

 

最後のピースとして、産業革命期に誕生したのが、輸送手段です。すなわち、蒸気機関や電信の技術です。蒸気機関が大量生産を可能にし、電信の技術は情報の速度を圧倒的に高めました。かつて、情報は馬よりはやいものはありませんでした。

この世界では地球の裏側で何が起きているかも携帯電話を調べればすぐに分かります、この時代と比べると本当に違いますよね。

 

これらのものが4つ揃うと、大体一人当たりGDPは2%程度の水準で成長を続けるのが先進国であるということです。GDPの成長率は昔の日本とか中国とか10%とかもありましたが、これは本当に昔では信じられないことです。

本当に近代まで、GDPというのは0.00%というように全くといって成長していなかったということです。

 

これに日本を当てはめてみると、江戸時代の日本は、封建制度のもと平和であったものの、私有財産制や法の支配が確立もされていませんでした。これが明治維新以降、一気に西洋にキャッチアップしていったということです。

 

また、筆者は民主主義と経済発展の関係についても指摘しています。

私有財産制のもとで、経済発展をしてきた場合、人々は民主主義を求めるようになるが、民主主義を根付かせたとしても、経済発展はしないということです。

これは確かに、中東で民主的選挙をやっても経済は、、ということを思い起こし、なるほどな、というように思いました。

 

経済発展の成果、民主主義が発展した日本で振り返ると、逆に民主主義が経済発展の妨げになっているのではないかと思ったりもします。色んな人に権利を守らなければならないのが当然となり、シルバー民主主義というようにこともある中で、財政赤字体質の体質を抜け出せていませんよね。これからの世界、民主主義の下どのような展開になるのかということについて考えてしまいます。

医療保険の自己負担割合を増やすべきか?

最近、本屋さんで平積みでされている本を読みました。

「原因と結果」の経済学―――データから真実を見抜く思考法

https://www.amazon.co.jp/%E3%80%8C%E5%8E%9F%E5%9B%A0%E3%81%A8%E7%B5%90%E6%9E%9C%E3%80%8D%E3%81%AE%E7%B5%8C%E6%B8%88%E5%AD%A6%E2%80%95%E2%80%95%E2%80%95%E3%83%87%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%81%8B%E3%82%89%E7%9C%9F%E5%AE%9F%E3%82%92%E8%A6%8B%E6%8A%9C%E3%81%8F%E6%80%9D%E8%80%83%E6%B3%95-%E4%B8%AD%E5%AE%A4%E7%89%A7%E5%AD%90/dp/447803947X/ref=asap_bc?ie=UTF8

この本は、僕がチェックしている経済学者の安田さんのブログで紹介されていて、経済学の本を読みたいなと思って買ったのですが、意外と社会保障の関係の話も沢山盛り込まれていて、面白かったです。

blog.livedoor.jp

 

この作者の方は、ハーバード大学院で学んだ津川さんという方が作者で、その方のブログもこちらにありました。

このブログについては、なかなか面白いと思ったのですが、そのうち、本にも紹介されていた「ランド医療保険実験」というものを紹介したいと思います。

 

healthpolicyhealthecon.com

 

 

この実験では、医療保険の自己負担割合を変えると、人々の受診行動・健康度合にどのような影響があったのか、調べています。

 

日本の医療保険の負担割合は何割かご存知でしょうか。

若い方は3割ですね。

 

高齢者になると、70~74歳であれば2割、75歳以上であれば1割になります。

ただし、70歳以上の人の中で、相当の所得がある人については、3割になるという仕組みになっています。

 

日本の医療保険制度の改革の一つの議論として、高齢者の自己負担割合をあげてはどうか、そうすれば医療費削減になるのではないかという議論があります。

 

これの一つの反論として、「自己負担割合を上げたら、みんな病院にいかなくなる。そうしたら逆に重病になって医療費が高くつくだけだ」ということがあります。

 

なんとなくありそうな議論なのですが、この「ランド医療保険実験」では、

・自己負担割合を上げたら、受診回数が減る。

・とはいえ、健康度合には影響はない(低所得者は除く。)

ということが社会実験として明らかにされました。

 

この実験結果をそのまま日本に当てはめるのはいかがなものか、という主張もあるのですが、一つの議論材料になって面白いですよね。

 

上記の自己負担割合を上げたら、かえって重症化するという話もなんとなく、ストーリーとしてありそうなのですが、本当かなという気もします。

 

人間はこのような因果関係とか、さもありなんストーリーについては理解しすく、一方で、統計的なデータについては軽視するような傾向にあるようです。

 

一番分かりやすいのは映画にもなった「マネーボール」ですよね。このマネーボールの考えが出回った時は、目利きでやってきたプロのスカウトの顰蹙をひどく買ったとか。それでもアスレチックスが結果を残したので、統計の力が思い知らされたわけです。

 

負担増の改革については、政府の検討課題として公式文書でも位置づけられています。感情的な議論や、なんとなくそれっぽい議論があるのですが、このようなデータに基づいた議論ができればいいと思いました。